1. 引言
在语言研究中,有一个很重要的前提,即:分析某一种语言表达必须站在主体立场上进行考虑 [1] 。时枝诚记(1950)把语言主体(说话者),场面(听话者及其他)和素材看作语言的存在条件。“语言是人的一种行为,如果把进行语言行为的主体叫做语言主体的话,那么,语言只有在作为语言主体的行为、实践这一前提下,才能够成立。”( [1] 《日本文法口语篇》、pp. 161-162),时枝诚记强调了说话人的主体作用。
日语「してはいけない」在高梨信乃(2010)等学者的研究中被认为是评价情态,另一些研究( [2] 村上1993等)则将其归纳为更为主观的禁止表达。随着时间的推移,其评价的实际意义逐步被虚化,越来越多地应用于表达语义扩展的意义,于是在认知情态中,最典型的禁止表达形式「するな」常常被「してはいけない」所代替。本文的目的是从语用学的角度考察「してはいけない」的功能及其使用条件,并根据其语义扩展找出情态形式的扩展顺序,对日语教学提供理论依据。
2. 评价情态「してはいけない」
2.1. 「してはいけない」评价功能的使用条件
通过对大量例句的考察,本文总结了第一种情况的「してはいけない」的评价功能有如下使用条件:
当行为者为说话者本人时,在谓语为意志动词的情况下,「してはいけない」的功能为评价,表示的意思为“不好”,是说话者在发话时进行的负面的评价。如例句(1):
(1) 九時頃、洗面所を掃除していた人に「一六二一号室の者ですけど、うちの部屋のお掃除のこと何か云われてます?」ときいてみる。「いいえ、何だか大変そうなので、入ってはいけないと思って遠慮していただけです。あとで伺います」との返事。(『院内感染からの生還』)
其次,当行为者为第三者时,同样表达说话者发话时的评价,与「べきではない」相近,意思为“不妥当”,如(2):
(2) 子は親の財産などあてにしてはいけない。
(『女が30代にやっておきたいこと』)
此外,在对话中,「してはいけない」有过去形的变形:「してはいけなかった」。例如,在描述对过去的事情的评价时,会用「してはいけなかった」,意思也为“不好”,属于说话者在发话时对过去的事情进行的负面评价,如(3) (4)。
(3) コーディネイトチェックも絶対、手抜きしてはいけなかった。
(『大ヒット雑誌get指令』)
(4) でも、あなたの考えを聞かずに、あなたの名前を口に出してはいけなかったわね。(『スイスの銀行の陰謀』)
2.2. 评价功能的定义和范围
[3] 高梨信乃(2002)曾把作为对事态进行评价的情态表达(事態評価のモダリティ)分为以下三组:
① 评价的复合形式:「といい」「ばいい」「たらいい」、「ほうがいい」、「てもいい」、「なくてもいい」、「てはいけない」(「てはならない」)、「なくてはいけない」(「なくてはならない」「なければならない」「なければいけない」「ないといけない」)。
② 助动词:「べきだ」、「ものだ」、「ことだ」。
③ 其他的复合形式:「ざるを得ない」、「ないわけにはいかない」、「しかない」、「必要がある」、「必要がない」、「までもない」、「こともない」etc. [3] (82)。
对于「してはいけない」形式, [3] 高梨信乃(2002)将其定义为事态评价(井上所说的价值判断的情态)的情态。所谓事态评价,是指说话者是否期待对于某种行为的实行或对某种状态的实现的一种情态。
而关于事态评价的情态「てもいい」、「なくてもいい」、「てはいけない」、「なくてはいけない」中存在主观性与客观性的对立,其中一种情况下表示「单纯的说话者主观说话时的评价」,另一种情况下表示「客观的必要性、容许性」。例如例句(5)的「てはいけない」,是发话时说话者对「僕みたいな平凡な男がこんなことをしている」这件事进行的评价,但例句(6)中的「てはいけない」则是在表达「寮の中で酒を飲む」这个「規則」中的禁止(高梨2002)。
(5) 「僕みたいな平凡な男が、こんなことをしていちゃいけないと思う。」高梨信乃(2002: p. 92)。
(6) 「だって、りょ、寮の中で酒飲んじゃいけないのって、き、き、規則だろう」高梨信乃(2002: p. 92)。
3. 「してはいけない」的语义扩展
[4] 仁田义雄(1991)对当为判断的情态(高梨所说的事态评价的情态)表达禁止时提出以下三条使用条件:
a. 行为者为第二人称;
b. 说话者对行为的实现持否定的价值判断;
c. 说话者对行为的否定价值判断为现在的判断,根据这个判断劝诱或命令对方停止或不实施行动。
[4] 仁田义雄(1991:258,笔者译)
根据这三项条件,可以将「してはいけない」的使用条件归结为:行为者为第二人称,谓语为意识动词,行为为未完成。本文在此基础之上,着眼于说话者的社会地位,考察了大量日文例句,将使用场景分为:① 说话者处于上级地位 ② 说话者不处于上级地位两种情况。第一种情况,本文称之为〈不许可〉:当说话者处于上级地位时,「してはいけない」与「するな」的意思相近,表示不许可,对于事态的评价为前文中第一种「单纯的说话者主观说话时的评价」,也就是说话者主观上不允许做某事,这种情况文中可以不提示禁止的理由、根据及条件;第二种为〈社会规则〉:当说话者不处于上级地位时,「してはいけない」表达的是一种社会规则,对于事态的评价为「客观的必要性、容许性」,也就是说话者向听话者提示某一种规则,从语用学的推测中引导听话者不做某事或停止做某事,所以句中常出现禁止的理由、根据和条件,这种情况的「してはいけない」的禁止功能与「するな」形式常常无法互换,存在很大区别,将在下面一节详细讨论。
3.1. 禁止功能的定义和范围
[5] 高梨信乃(2010)定义否定命令形式(=するな)为表示不许做某事的指令。当然,禁止对方的行为必定应该设定相应的理由,但是在使用「するな」的时候,比起理由、根据的阐述,更聚焦于禁止行为本身。实际上,「するな」也可以用于不说明缘由地强迫听话者不去做某事。所以,像先行研究中也指出过的那样,「するな」是使用范围很窄的一种形式。正因为如此,否定命令的表达中,评价的情态形式,不可能表现等其他间接的表达方式逐渐发达。不过,这些形式在对听话者提示该行为为“不适合去做”的行为方面,与「するな」并无区别。
而「してはいけない」的禁止功能则仅在 ① 听话者的 ② 可控的 ③ 未实现的行为的情况下带有禁止功能。这中间的区别就在于,前者为句意本身带有的对某种行为的禁止的否定型命令功能,而后者则是经过语用学推导,成为一种惯用形式,进而作为否定命令功能被固定下来。对于这一点,宮崎(2002)将行为要求功能(「行為要求機能」)总结为以下三类,显然,「するな」属于第一类,「してはいけない」则原本具有“表示该行为不被许可”的意思,在满足 ① 听话者的 ② 可控的 ③ 未实现的行为这三个条件下,成为一种带有行为要求的功能 [5] (高梨2010:191)。也就是说,「てはいけない」属于第二类行为要求的句子。而不可能表现等迂回的说法属于第三类,对此本文暂且不做讨论。
具有行为要求功能的句子( [6] 宮崎和人等2002:44,笔者译):
1) 原本就具有行为要求的功能的句子。
2) 原本具有其他功能,后转化为行为要求的功能,之后固定下来的句子。
3) 依存状况可以派生成有行为要求含义的句子。
3.2. 考察结果
通过对大量语料的考察,可以总结出以下规律:说话者不处于听话者的上级地位时,句中常出现「ため」、「だから」、「から」等词汇,阐述禁止行为的理由和条件。地点时间等作为条件出现在前后文当中,往往作为对当地或该场景的规则进行说明。而直接表示禁止的例句则均能看出说话者的社会地位处于上级(父亲,兄长,祖父等)。评价功能的例句中,行为者为第一人称或第三人称。
3.3. 「してはいけない」的语用功能
当谓语为意志动词,行为者为第二人称,行为并未实现时,如果说话者处于上级地位,句子意思为“不许可”。如(7):
(7) 「リキを散歩させるときには皆で連れて行きなさい。絶対に手綱を離してはいけない。道路を横断する場合には、リキは前から来る車はわかってきちんと止まるが、後ろからの車は気がつかないことがあるから注意するように」
(気くばりのすすめ)
这种类型的「してはいけない」形式的禁止表现在分析样本中比较少见,仅占考察总量的4%。下面我们来分析这种类型的禁止与「するな」类型的区别。
先行研究将禁止定义为一种强硬的命令形式。最典型的禁止「するな」有以下语言行为特征:「するな」的禁止语言行为一般以上级对下级,长辈对晚辈的形式来实施。
(8) 人前でパパと呼ぶなよ。
(9) 廊下を走るな。
(8) (9)是「するな」形式的相应例句,例(8)是父亲对儿子,例(9)是老师对学生。
而「してはいけない」的禁止则是由负面评价的语用功能逐步发展而来,成为一种惯用形式。评价言语行为在表现形式上可以是由上到下,也可以是由下到上的,所以「してはいけない」在禁止功能的表现形式上是可以由上到下,由下到上。由上到下的「してはいけない」禁止,就是本文称之为“不许可”的禁止,例如(10) (11) (12):
(10) 「食べ物を粗末にしてはいけない。」(父亲对儿子)
(11) 「お父さんの邪魔をしてはいけません。」そう言われてしぶしぶ子どもたちは、自分たちの噴水プールに戻った。(母亲对孩子) (『スパイダー、ワールド』)
(12) 「まだ帰ってはいけません」(教师对学生)。
(10) (11) (12)均为说话者为上级地位的例句,这种情况下,「してはいけない」与「するな」的使用条件一致,可以直接替换为「するな」。这种例句占的比例小,在本次考察中只找到极少例句,均可以看出说话者处于上级地位(父亲,兄长,祖父),这类例句都可以直接替换为「するな」。
3.4. 〈社会规则〉:客观的事态评价
2.2中提到,事态评价有两种,一种是指说话者作为规范者制定的规范,也就是“主观的必要性、容许性”的评价,另一种是指说话者在“描写一个事态对于客观世界的秩序,构架,情况等是必要或不必要的,或者是被容许或不被容许的”( [3] 高梨: 2002: p. 94)。
例如,在很多情况下,说话者作为规范的制定者参与到行为的实行或状态的实现当中。例句(13) (14) (15)中的说话者作为规范的制定者,在制定规范时,以自己的标准(个人的评价)为基准。
(13) 新聞記者という者は、一生に一度大きいスクープをすればいい。それだけで大記者だ。(『あすなろ物語』)
(14) 『とにかくここで、金を使うことが私の義務なんだ』と考えつづけた。
『とにかくここで授業料を使い果せばいい。そうすれば老師に、尤も至極な放逐の口実を与えることになるからだ』(『金閣寺』)。
(15) 遠くへ行くためには、多くの弱点を克服し、さらに厳しくなるだろう状況に耐えなくてはならない。内藤にそれができるかどうか、私にはまだ確信が持てなかった。(『一瞬の夏』)
从主观性/客观性的观点来看,这种情况的事态评价情态是主观的。
但是,也有另一种情况,就是说话者并没有作为规范的制定者参与到行为的实行或状态的实现中去,这种情况就是客观的事态评价情态。
由于事态评价的情态表达的是对规范的评价,所以在事态评价的情态中,即使制定规范的是其他人,不是规范制定者的说话者也可以对于自己没有参与的行为的实行或状态的实现做评价。例如例句(21)中,说话者并不是制定规范的人,但对「寮の規則」这个规范中的,「寮の中で酒を飲む」这件事进行了“飲んではいけない”的评价。
(16) 「だって、りょ、寮の中で酒飲んじゃいけないのって、き、き、規則だろう」( [3] 高梨 2002: p. 92)。
这种客观的事态评价的情态表达又可以分为两种,一种为说话者对该规范认可的情况,另一种为说话者并不一定认可该规范的情况。例句(17)和(18)是第一种情况,此外,我们可以认为例句(16)为说话者认可宿舍的规矩(「寮の規則」),也可以认为例句(19)为说话者认可自然界的相关法则。
(17) バスやがて、マルイデパートの横にとまった。いつも夏枝ときた時におりる停留場であった。陽子はそこでおりた。それから、どこへ行ってよいかわからなかった。信号が青に変わって歩きだした人の流れに陽子は入った。人々は旭川駅の方に向かって歩いていた。(三浦綾子『氷点』)
(18) ぞろぞろと人の出てくる改札口の柵にもたれて、陽子は今ついたばかりの汽車をみていた。汽車の窓に、白いベビー服をきた赤ん坊をだいた女の人がいた。女の人は陽子の方をみて、微笑んだ。やさしいかんじだった。
(三浦綾子『氷点』)
(19) モルヒネの精製にはアルコールを大量に必要とする。また結晶化の工程では冷却を加えなければならない。それなのに台湾の気温は高く、アルコールは蒸発してロスが多く、冷却のための動力はむやみとかさむのだった。
(星新一『人民は弱し、官吏は強し』)
例句(20)和(21)属于后一种情况,说话者虽然并不认可他人制定的规范,但根据他人制定的规范做评价,或者是将他人的规范本身传达给听话人。
(20) A「ここでお酒を飲んでもいいですか?」
B「規則では、飲んではいけません。でも、今はいいですよ」
( [3] 高梨信乃 2002: p. 93)。
(21) 「ブルガリアやルーマニアを旅行するときの話」。
しかも我々の行動に関しても規制が多い。国境から5 キロ以内の風景の写真撮影は禁止。兵隊と警官を写してはいけない、民衆、とりわけ貧しい身なりの人を写してはいけない等々……。( [3] 高梨信乃 2002: p. 112)
以上这些例句是客观的事态评价情态,其中一种是指说话者认可他人制定的规范,并根据他人制定的规范进行评价,另一种是说话者虽然并不一定认可他人制定的规范,但是根据他人制定的规范进行评价。
而与之相对的,主观的事态评价的情态是指说话者作为规范的制定者,根据自身制定的规范,进行评价。
这里我们所说的规范是指社会道德、法律、习惯或自然界中的法则,也包括个人的思想、喜好、意向等,某一行为恰当与否的基准。主观的事态评价的情态中的规范通常比起社会道德、法律、习惯或自然界中的法则来说更偏向于个人的思想、喜好、意向。而客观的事态评价的情态中的规范往往是社会道德、法律、习惯或自然界中的法则。个人的思想、喜好、意向是说话者私人的,而社会道德、法律、习惯或自然界中的法则则很难成为说话者个人的评价。
当说话者不处于上级地位时,根据礼貌原则,需要保全听话者的面子,只说到解释为止,所以,说话者不处于上级地位的情况下,「してはいけない」中的事态评价为客观的事态评价情态中的第二种,即说话者并不一定认可他人制定的规范,但根据他人制定的规范做评价,或者是将他人的规范本身传达给听话者,此时禁止功能中“不适合去做”这一规范的制定者不为说话者本人,而是其他人,可以表达出一种并非说话者觉得“不适合去做”,而是隐含了当时所处的场景或处境中的社会道德、法律、习惯或自然界中的法则中“不适合去做”这一意义,从而保全听话者的面子,达到礼貌的策略,而听话者则根据语用学的推测来理解这个规范,从而停止或不去做某事。对此,将通过以下例句做详细说明。
如果说话者不处于上级地位,且当谓语为意志动词,行为者为第二人称,行为为未实现时,说话者以解释的方式表达当地或当时的社会规则。如(22):
(22) イギリスではタクシーが目の前で止まったからといって、すぐ後部のドアを開けて車内に入ってはいけない。「いけない」というのは少し大げさかもしれないが、少なくとも筆者が観察する限り、こちらの人はすぐには車内に乗り込まない。(『イギリス英語散歩』)
这句例句中,说话者提示“不适合去做”的规则,而这一规则的制定者为“英国「イギリス」”。
(23) 全員が1回ずつ走った後は,足に自信のある人が走るようにします。ただし,2回続けて走ってはいけません。足の速い人が片寄らないように,時々組替えをしましょう。また空き箱を2個拾って,1個を他方の上に乗せ,バランスをとって走るのも楽しいでしょう。
(『生きがいづくり健康づくりの明老ゲーム集』)
例句(23)中,有「2回続けて (连续两次)」作为禁止的条件出现,也就是说,说话者将禁止的条件做解释说明,从而禁止对方的行为。
(24) それを見たとたんにポラックさんは真っ青になった。「そんなところに行ってはいけない!それは呪われた日だ!君たちの旅はここでやめるべきだろう。本がそんなところに君たちを連れて行くなんて…。絶対にこの旅には出ない方がいい」さっきまで怒っていた勢いなどどこへやったのか、ポラックさんはもろい人形のようにくずおれた。(『永遠の旅のはじまり』)
同样,例句(24)中,也有「そんなところ (那种地方)」做说明,从而向听话者传达禁止含义。这与后文中「やめるべき (应该停止)」的语句相呼应。
(25) おばさん「昨日消毒したばかりだから、食べてはいけない」
柴田さん「ヤマギシの野菜、消毒してあるんか?」
おばさん「あたりまえだよ。消毒しないでトマト作れるわけないだろう」(『加藤哲夫のブックニュース最前線』)。
例句(25)也对情况进行了说明,「昨日消毒したばかりだから (昨天才刚刚消过毒)」作为理由,向听话者解释情况,从而表达禁止的意思。
本文考察的例句中占大多数,都在文中出现了次数,场所,理由。前后文中出现「だからと言って」「から」「ため」「だから」「ても」等表示理由、条件、说明的词汇的频率较高。这类例句中说话者均不处于上级地位,所以当此类例句替换为「するな」的时候,句子会变得不自然或情态过于强烈,与所处文脉的情态相矛盾。
4. 结论
本文考察了「してはいけない」,结合日本国立国语研究所的《现代日语书面语均衡语料库》少纳言语料库,从语用学角度分析了其使用条件。「してはいけない」原本为否定评价情态,由于时间的推移,在特定语用条件下实际意义逐步演变为语义扩展后所派生出来的新语义,并有一部分扩展语义已经演变为主观化程度很高的禁止表达。
基金项目
本论文是江苏大学科研基金项目(项目编号:5011500045项目名称:日语的语义扩张)的研究成果。